あるあるの検証番組

昨日のあるある大辞典捏造問題の検証番組「私たちは何を間違えたのか 検証・発掘!
あるある大事典」。
http://www.asahi.com/national/update/0404/OSK200704030136.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070404-00000031-san-soci
どうせ、関西テレビが作るものだからろくな展開にはなってないだろうと思ってはいたが、
予想に反しないつまらなさ。見ていて寝そうになった。
当事者が直接的な権力を持って検証するわけだから、当然他者や調査委員会の報告と
違った切り口があって良いはずなのに、全くそういうものがなく、むしろ調査委員会の
報告を引用しながら展開する始末。
抗議もかなりあったようだが、当事者のディレクターが何故か匿名だし、映像や音声
すべて処理されている。これの意図は何なのか。次への転職に向けての社の心配り
ということなのだろうか。よく分からなかった。


自分が以前から指摘している意図的な捏造ではない、科学的な検証法のあり方(調査対象が
少なすぎることなど)に関する問題に関しては全く触れられてもいない。
やはり、そういう考えが全くないのだろう。面白い番組を作ることが最大の目的に
なったとは、まさにサイエンスを扱う訓練を受けていない素人が、サイエンスを論じようと
した当然の結果なのだろう。「間違えた」と共に「無知」だったということだろう。


マスコミなんてこんなものなんだろうか。
0を1にするのは捏造だが、1を10にするのは捏造ではなく演出といった考えが
あるらしい。自分らサイエンティストがこんなことをしたら、今なら間違いなく首だろう。9を10にしても同じだろう。


この件に関しては新潮新書の今野努氏による「テレビの嘘を見破る」が興味深い。
ISBN:4106100886
2004年に出ている本だが、副題として「幻の魚は、なぜ旅の最終日に釣れてしまうのか!?」。
結論としては幻の魚は旅の初日に釣れているのを、編集で最終日に釣れたことにするだけなのだ。
ドキュメンタリーならそういうのが演出として許されてしまうのだろう。
演出が許されることと、許されないことの違いをマスコミ人が区別できないことが
今回の事件の根底だったのだろう。
物語と現実は違うということを、明確に意識することが重要だったのだろう。