先日、テレビの報道特集だったと思うが、生活保護を受けている老人が、裁判を起こして
いる話がテーマになっていた。
生活保護を受けている世帯で70歳以上の老人に対しては老齢加算というものが、
存在していた。東京などの一等地の例では月額17,930円が加算されていた。
それが2004年・2005年と段階的に減額され、2006年には廃止されたのだ。
これによって憲法25条が保証する「健康で文化的な最低限度の生活」が送れなく
なったという訴えだ。いわゆる生存権と言われるものだが、この「健康で文化的な最低限度の生活」
というのは、どう考えても主観的な概念で、別に路上生活者でも、山の中で野生に
帰った生活をしていても、本人が健康で文化的と思っていればOKだろうし、
人から見れば、十分な生活に見えても、本人はこんなの文化的じゃないと思うことも
あるだろう。
老齢加算の廃止は言うまでもなく、生活保護を受けている世帯の高齢化が今後進む
中での国の歳出削減を狙ったものだ。番組ではこの訴えを起こした老人の主張に
焦点をあて、老人側に立ち、老齢加算の廃止に関する問題を訴えていた。
確かに、その老人の生活に密着取材した姿は、かなり貧しい生活で自分なら
耐えられないと思う。
が、その番組を見ていて、自分は何とも納得しがたいものも同時に感じた。
これが生存権の保証を侵しているとは言い切れないと思うし、それより何より、
その老人は国民年金をもらっていない。勤労世代の時に、支払いをしていないからだ。
この老人、過去2度結婚し、2度とも離婚しているとのことだが、
子供は3人も作っている。なぜ、このような勤労世代を過ごしながら、国民年金に
加入していなかったのか、なぜ子供との関係が維持されていないのか。これらの
説明が番組では全くなかった。国民年金の未加入は国民としての義務を果たしていない。
老齢加算がなくなってもこの老人が受けている生活保護金額は、家賃分を含めて、
月11万円ほどだ。勤労世代の平均的収入の所得税はせいぜい年間30万円ほど。
すなわち4人の勤労世代の人が、この老人の生活保護を払っているわけだ。
心身の問題で若い頃にもまともに働けなかったのならしょうがない。しかし、この
場合はそうではない。どう考えても自分には、この老人の今の姿は自業自得に見えた。
この人は若い頃、自分の老後についてどう考えていたのだろう。
生活保護が本当に最低限の生活を保証するものにすぎないのは、しょうがないのではないか。