スピード水着

水泳など全く興味ないが、なにやら新しい水着が開発され、それを着用して競技を
おこなった選手に新記録が続出だとか。
何というか、競技相手という人間ではなく、記録を相手にするスポーツの空しさを感じる。
どんなスポーツでも好結果を実現させるために、昔とは違うトレーニング法があるわけだ。
野球ならピッチングマシンの球のスピードや変化は昔よりも多彩にコントロールできる
わけだし、調整法や食事の取り方なども、より競技に力が発揮できるようになっているわけだ。
これらが間違った方向に進んだのが、ドーピングとも言えるのだろう。


相手が人間のスポーツなら、それらを含めて競争の中で戦えば良いわけだが、
記録を相手にして、今回の水着のような物質的な革新変化が生じた時、
選手はどういう気持ちなのだろうか。誰だかは泳ぐのは自分だという、
メッセージを書いたTシャツを着て登場とのことだが、現実は水着の進歩の差の方が、
選手の努力の差よりも大きいわけだ。
勝つためだけなら、この水着の変化に対応できなければいけないだろう。
しかし選手はこの新しい水着を着たことで新記録を達成したとして、それで嬉しいのだろうか。
難しい問題だ。