サイエンスを学ぼうとする学生に対して、実験科学手法を教える基本の1つに、
実験には対照(コントロールという)をともにおいて行うようにと口酸っぱく教育する。
対照には肯定的対照(ポジティブコントロール)と否定的対照(ネガティブコントロール)がある。
分かりにくいので、具体例を挙げよう。
Aという物質が「ある反応系」の中で、Bという物質に変わるかどうかを調べたいとする。
単純に考えるとAという物質を「ある反応系」に入れ、Bが出来たかどうかを見れば良い。
しかし、実験科学とはそれほど単純でない。
Aという物質が「ある反応系」に関係なく、勝手にBに変わるかもしれない。
あるいはAという物質に含まれていた不純物によって、Bができてしまうかもしれない。
あるいはBという物質の生成を確認すること自体が「ある反応系」を通したことで、
出来なくなってしまうかもしれない・・・
等々様々な懸念が考えられる訳だ。
そこで先に述べた対照実験が必要になる。
「ある反応系」にとって大事なものをわざと欠いておく。
AはBにならないはずである。これが否定的対照。
もし、それでもBが検出されてしまえば、自分が調べたい「ある反応系」
と関係のない原因による結果を見てしまっていることになる。
次は、すでにAという物質をBにすることが分かっている反応系を混ぜてみる。
当然Bが出来るはずである。これが肯定的対照。
もし、Bが検出されなければBが生成されなくする予期せぬことが
起きていることになる。
否定的対照でBが出来ていないことを確認し、肯定的対照でBが出来ていることを
確認することで、やっと「ある反応系」がAをBに出来るか正当に評価できるのだ。
さて、本題だが、横田めぐみさんの遺骨鑑定の問題だ。
2度火葬されDNA鑑定が難しいと言われた遺骨から帝京大のグループは
横田めぐみさんのDNAでない、DNAを検出した。
その結果から、この遺骨は横田めぐみさんのものでないとの結論を付けた。
もう分かってもらえたと思うが、この鑑定実験に対照はない。
「これは横田めぐみさんの遺骨です。」という肯定的対照がないのだ。
さらに、検出されたDNAが誰のものかも分からない。
火葬された骨を普通に運べば、運んだ人の汗や手あかやふけなどから、
遺骨と関係のないDNAが混入する。
もっと、ひどい話になると鑑定をしている実験者のDNAが混入し、
検出してしまう可能性もあるのだ。
そういうものではないという否定的対照もない。
遺骨からのDNA鑑定とはそれほどに難しいものである。
科学警察研究所は検出できなかった。
帝京大のグループはミトコンドリアという器官に隔離された、DNAを検出した。
隔離されているDNAだから2度の火葬に耐えれたと考えられている。
その他、骨格の特徴など総合的判断しに横田めぐみさんの遺骨でないと鑑定したわけだ。
おそらく、その結論は間違っていないだろう。
しかし、では100%間違えないかと言われれば、自分は対照のないDNA
鑑定では確実とは言えないと思っている。
北朝鮮はならずもの国家であり、経済制裁も考えるべきことだと思うが、
この遺骨問題の北朝鮮の対応はけしからんから経済制裁すべきというのは、
少し早急な気がする。