基礎研究とお金

さて、今日は基礎研究とは何かについて私見を述べたいと思います。
私見と言っても、特異な意見ではないと思います。
基礎研究は物事の真理を純粋に追求していく学問と考えればよいと思っています。
自然科学において、中学や高校の理科や数学の教科書に書かれている内容
(必ずしも正しいわけではないですが)は、現時点で一般的だと思われている内容が
書かれています。
こういう内容を追求していく学問と言えます。
良く子供がなんで?どうして?と聞くことがあると思いますが、物事のなんで?
どうして?に次々答えていくと、あることろで答えることが出来なくなってきます。
多くは、答える側の知識が足りないいわゆる無知に突き当たることよるものでしょうが、
たとえどんな賢者を相手にしても、いずれ答えられない疑問にぶち当たり、それより
先には進めなくなります。


これが現時点での分かっていることと分かっていないことの境界であり、この境界を
極力伸ばしていくことが基礎研究だと思います。
基礎研究のやり方には理論的手法と実験的手法がありますが、基本的に両輪が揃って
始めて進むものだと思っています。
物理学などは理論と実験が明確に分け隔てられて学問分野になっているようですが、
生物学をやっている自分から見るとあくまで両輪を持って進めるべきだと思っています。
おいおい書いていきますが、自分の専門は植物の分子生物学・分子遺伝学・植物生理学と
いったことになっていますが、実験とコンピュータによる解析どちらも重要だと考えています。
必ずしもそうは考えない人もいて、時々困惑するときもあります。


さて、基礎研究は真理の追究でしかないので、それが最終的に世の中の役に立つか、
立たないか、あるいは企業とかの金儲けに繋がるか、繋がらないかは分かりません。
ここのところが応用研究と大きく異なるところなわけです。
お金儲けに繋がるか分からないわけですから、その研究に企業がお金を出して
くれるわけがありません。
つまり基礎研究の資金は国が出す、すなわち我々国民が出すしかないのです。
そこまでしてやる意味あるの?という疑問を持つ人がいるかもしれません。
役に立つか立たないか分からないというのはその部分が難しい。
逆に役に立つと成果が莫大に大きい可能性もあるのです。普通はやられていないわけですから。
また日本が科学立国として多額の資金を出すことが、もはやは国際社会の中で欠くこと
ができないものになっています。
いや、国際競争が盛んな時代だからこそ、追随する諸国から勝ち残るために必須なものと、
考えた方が良いかもしれません。


基礎研究を行う人間として、この部分はいつも心しておかないといけないと思っています。
多額の研究費を得た人が、得られた研究費や研究成果を自慢しているのを見ることが
あります。
あくまで、その研究費は国民が出しているものであり、その人は国民に委託されて、
研究という「仕事」をさせてもらっているに過ぎません。
多額の研究費をもらっておきながら、まともな仕事を達成できないことは言語道断、
最悪です。


今後は、基礎研究の成果と評価について書いてみたいと思います。