先日、広島の原爆の日があった。まもなく長崎そして終戦の日。今年は60年の節目だ。
60年と言えば人間ならだいたい2世代回った頃だろう。自分の両親は終戦時5才。
戦争の体験を追憶できる年齢ではない。
中学生の頃、夏休みの宿題で戦争の体験を親族や知人から聞いてまとめるというのがあった。
前述のように両親では分からない。祖父母に聞くのと、当時福武書店(現在ベネッセコーポレーション)
の進研ゼミをやっていた自分は、その中の何でも相談のような制度を利用して、
「戦争体験の宿題が出ています。なにかお話を聞かせてくれませんか」と問い合わせてみた。
すぐに返事が返って来てなかなか参考になった。
それらをまとめて宿題を提出すると、自分は初めての経験だったが、何らかの賞がもらえて
しまった。
読書感想文とかそういうものは苦手な部類だったので、これには自分でも驚いた。
進研ゼミは中学・高校とやったが、結果として受験にはあまり役に立たなかったが、
この相談の制度は色々な意味で参考になった。
その経験があってかどうかは分からないが、戦争や平和については結構それなりの持論を持っている。
今週来週とテレビで戦争に対する特集も多く組まれている。こういった放送は編集の仕方によって
いくらでも違う考えにまとめることができる。それを含めて見なくてはならない。
自分は当時天皇制の日本が、その維持に固執し続けている状態の中で戦争を長引かせてしまった。
根幹に天皇制があり、やはり戦争の一番の責任は天皇にあると強く考えている。
今日の表題はイラクのフセインを中心として、過去に日本の天皇(名称略)、そして
将来北朝鮮の金正日が独裁政治の継続が国際社会の中で崩壊させられるという当然の流れを
書いているつもりだ。むろんアメリカはそれを国際社会の主導権獲得に利用していると
いうのもあるだろう。
しかし、何時までも北朝鮮に穏和な対応ととり続けていてもなかなか状況は動かないように思う。
どこかで国際制裁の大鉈が必要なのかも知れない。むろんそれが武力行使あることが正しい
事とは思わない。
唯一の被爆国である日本はアメリカとは違う立場でイラクになんらかの手を打つことが
できなかったものだろうか、そして今後の北朝鮮に対する対応もアメリカ頼みになって
しまうのだろうか。
戦争の加害国であり被害国である日本が、今後の国際社会でなせることは何なのか
もっと考える必要があるだろう。