公務員の給与

子供の頃に社会の授業で習っていると思うが、公務員は労働3権が制約されている。
その引き替えに人事院勧告がある。民間事業所の給与を調べ、その平均と同じになるように
公務員の給与を補正するものだ。これによって公務員の給与は民間の平均になるわけである。


人それぞれの立場があるとは思うが、この平均とは学歴や本人の能力は関係ない。
自分は最終学歴は大学院修士論文博士を取っている。しかし大学も高校も2流以下の所
しか出ていない。それでも学生時代の友人と集まり、年収の話になると間違いなく自分は
最下位になる。ほとんどの友人はいわゆる一部上場企業に行っており、年収1千万以上も
めずらしくない。公務員のいわゆる平均的な給与は高学歴や(またはと言った方が良いか)
能力のある人間にとっては全く、ばかばかしい体系で薄給と言わざるを得ないのだ。


こういった中でどういう事が起きうるか、簡単に予想が付くだろう。
次の3パターンくらいあるだろうか。
1.仕事そのものに生き甲斐を感じ、金銭的な報酬は重要でないと感じる。
2.やってもやらなくても同じなんだから、必要最低限の仕事以外はせず楽な人生を過ごす。
3.仕事を含め自分の経験や能力を磨き、転職あるいは起業する。
いわゆる批判される公務員像は2だろう。3は特許庁に多いが、新規に採用された職員には
研修など初期投資されるわけであり、短期で辞められるのは国にとってはマイナスだろう。


自分の職場も高学歴の人が多いが、学歴を考慮した平均と比較すれば間違いなく薄給だ。
むろん以前も言ったように、基礎研究の面白さはは格別で、職場にいる人々は1に属する人が
ほとんどと言えるだろう。国からすればおいしい人らである。


元々公務員というのは、ほとんどが公務員試験によって採用資格が与えられる。
その試験は年齢制限はあるがほとんど誰でも受けられるわけであり、その人が公務員試験に
受からないのに、公務員は給料が良すぎると主張するのは滑稽に感じる。
元々能力・公務員試験に適応出来る人が、公務員になったのである。
問題はそこで能力を生かせなかったり、能力を失わさせてしまうような環境なのだろう。


それから公務員と言うと国家と地方が分けられるのだが、それを理解できてない人も多い。
愛知県などは地方公務員の給与体系の方が俄然良い。なぜかどこで働いていても+10%
の調整手当も付く(現在の国家公務員の調整手当は名古屋市+10%、岡崎市+3%のみ)。
俸給表への当てはめもすべて国より上になるようになっている。
国家公務員の給与が民間の平均に合わせられているのに、どうしてこういう上乗せができるのか疑問だ。
自分は愛知県上級職員になることもできたのだが、もしなっていれば今より年収200−300万
は多い計算になる。それでも、県の農政がらみの仕事など面白いとは思えなかったので
選ばなかったのだ。公務員制度改革をするなら地方公務員にメスを入れることは必須に思う。
地方公務員は採用試験でも議員や親族のコネがあることを良く耳にする。これは先の採用の
公平性からも極めて問題な行為だと思う。厳罰に処する対応が必要に思う。


年収数百万の差など、人生設計に影響を与えない。それより好きな仕事、生き甲斐のある
仕事をやれる方がどれほど重要かいつも感じている。
これからも安い給与で頑張っていきたいと思うぞ^^。