学長への天下り

法人化して、地方の国立大学は存続の危機に面していると言われる。この後、中期事業
報告とその評価があり、低い評価がなされると、大学が国から自動的に貰うことができる
運営交付金が大きく減額されるらしい。低い評価がなされなくても、現在通常年1%の
比率で運営交付金は減額されているので、5年経てば5%減額されることになる。
こうなると5%人を減らそうとするのが、普通の考えだと思うが、まず第一に、
人が減ること自体が研究・教育活性の低下を引き起こすと懸念される。また第二に、
人を減らしてやっていると文部科学省の行政側から、「なんだ人が減っても平気じゃん、
変わらずやっていけるじゃないの、もっと減らして合理化せよ」とばかり、
さらなる減額を食らうというのが、これまでの定員削減の国のやり方だ。
よって、極力人は減らさないようにしないといけないのだが、そうは言っても交付金
減っているのでどうしたものか。文部科学省の推奨する方法は、いわゆる競争的資金を
得て、それで補充せよということなのだ。
で、話は戻って、地方大学にそんな競争的資金をばしばし取れるような凄腕の
サイエンティスト(この場合は文系も含むが)は、そうはいないわけである。
だから存続の危機に面するわけだ。さてどうしたものか・・・


山形大学の新学長に前文部科学事務次官の結城章夫氏が就任するとのことだ。
http://www.asahi.com/national/update/0726/TKY200707260416.html
天下りが批判されているこのご時世に、ここまで露骨な手を打つとは山形大学も相当
追い込まれているということだろう。
教職員投票では別の工学部長がトップになっており、これを覆しての就任だから、
これは酷い話だろう。
天下りが何故いけないか。また天下りが何故なくならないか。いうまでもなく、
天下った役人がかつての部下に対し、口利きをしたり、様々な裏技を知り尽くしており、
これを利用することで、天下り役人を就任させた組織だけが利益を受けることができるからだ。
ずばり山形大学はこの手を使って生き残りを懸けたわけだ。


これから個々の大学を評価しなければいけない文部科学省の事務方とトップが、
1大学に天下る弊害を考えなければいけない。こんなことは許されることでは
ないのではなかろうか。